目的意識をもっているかどうか

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頭の悪い人間は人生の目的をもてないかといえば、そうではない。誰にでも、それをもつことはできる。生き方に差が出るのは、要するに、目的意識をもっているかどうかの差なのだ。

そういう意味で考えれば、就職活動はただ単に職を得るということにとどまらない。人生の目的達成のための手段となるのだ。生きるととさえも、目的でははく手陣である。さらに言えば、生きるということ自体も手段であって目的ではない。

本当の目的はほかにある。それを明確にすべきなのだ。これは、難しい作業であって、明確にすることができないかもしれない。しかし、やはり、「何のために生きているのか」という命題は、人間として毎日考え続けなければいけない課題なのではないだろうかと私 たとえば、プロ野球選手になりたいと思う人は多いが、なれる人は少ない。しかし、プロ野球選手を目指さなかった人は、絶対にプロ野球選手にはなれていない。人生の目的もそれと同じだ。

つまり、生きる目的を死なないためと答える人は、1パーセント本当の目的を見つけることはできないのである。大事なことは、考え続けることだ。死ぬまで見つからなくてもそれはそれでいい。考え続けることに価値がある。

だから、「何のために就職活動をしているのか」「何のためにその業種を選ぶのか」「なぜ安定したいのか」というみずからへの問いかけは、すべて、「何のために働くのか」「何のために生きるのか」という問いかけなのである。そのことに気づいてほしいと思う。 たとえ、一流企業からの内定を得たとしても、それが成功だったかどうかは、未来によって変わるのである。私など、過去は決して自慢できるものではない。スポーツもできな かったし、ずるいこともやった。

振り返ってみても、「カッコわるい人生」の連続だった。だからこそ、今現在の私の人生の目標は「カツコよく生きる」ことなのである。 とはいっても、世間のすべての人に「カツコイイ」と思われたいわけではない。

死ぬときにみずからの人生を振り返って、「カツコイイ人生だった」とみずからで思いたいのだ。そしてせめてみずからの三人の子どもと、入社してくれた社員たちには「カッコイイ生き方だった」と思われたい。

そう考えると、ずるいことやみずから勝手なことはできなくなる。それは少し不自由ではあるけれども、誇りをもてる毎日なのだ。人はいつのまにか、生きることを目的と考え、何かをなすための手段とは考えなくなってしまう。何のために生きるのかを考えられるという特権をもちながら、生きる目的を考える前に、安定だけを求めようとする。